TRAVEL
- 富士山を描いた芸術といえば、多くの人がまずイメージするのが葛飾北斎の浮世絵『富嶽三十六景』だろう。ダイナミックな大波の向こうに覗く富士山を描いた「神奈川沖浪裏」、日の光を浴びた堂々たる赤富士で知られる「凱風快晴」など、国内外でよく知られる名作も多い。日本各地から見た富士山という、それまでになかった富士の表現を生み出した連作。これらを北斎が描いた背景には何があったのか。太田記念美術館で主席学芸員を務める日野原健司さんに話を伺った。
- ほかにはない独特の美をそなえた富士山は、江戸以前の文学や芸術、そして北斎以前の浮世絵にもよく描かれていたモチーフです。当時の江戸からは、今よりもずっとよく富士山が見えたはずですから、江戸に暮らす人々にとっては"わが街の象徴"という思いも強かったのでしょう。江戸の街と富士山を描いた数々の作品が残されています。
- その一方で『富嶽三十六景』は、江戸だけではなく現在の神奈川や静岡、名古屋など、さまざまな場所から見た富士山が描かれています。この背景には、19世紀の江戸が経済的に豊かになったことで、庶民の楽しみに"旅"が加わったことが影響しているのではないかと考えられます。今ほど気軽にとはいきませんが、"一生に一度はお伊勢参りをしたい"と言われたように、旅は手が届く贅沢でした。山岳信仰の対象であった富士山も、やはり人気の旅先だったのです。北斎が描いた多様な場所から見る富士の姿は、人々の心の中にある旅への憧れを思い起こさせるものだったのかもしれません。
- また、それまでの浮世絵は、役者絵など人物のほか、江戸の賑わいや寺社など、いわゆる人の手で作られた物を描いてきました。しかし北斎は、山や自然の美しさを描くことで人気を博しました。北斎は、富士山を描くことを通して、日の光の暖かさや雲の流れ、吹き抜ける風など、目には見えない自然をも描き出そうとしているように感じます。私たちが自然を美しいと感じる時、ただ目に映るものだけではなく、それ以外の要素も大きく影響しているはずです。私たちの自然に感動する気持ちと地続きのものが、『富嶽三十六景』には描かれている。だからこそ、今の私たちはもちろん、海外の人々にも富士山の素晴らしさが伝わっているのではないでしょうか。
「甲州三嶌越(みしまごえ)」葛飾北斎
- 山梨と静岡の境にある籠坂峠(かごさかとうげ)を越えるあたりと言われる『富嶽三十六景』の中の一作。手をつないで木の幹の太さを確かめる旅人のユーモラスな姿や、中国風に描かれた雲が、旅の楽しげな空気を伝える。
Kenji Hinohara
- 1974年千葉県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科前期博士課程修了。現在は太田記念美術館主席学芸員、慶應義塾大学の非常勤講師。江戸から明治にかけての浮世絵史、ならびに出版文化史を研究。
「The UKIYO-E 2020」
- 日本の三大浮世絵コレクション、太田記念美術館、日本浮世絵博物館、平木浮世絵財団の名品を一挙に紹介。
『富嶽三十六景』も通期で展示する。東京都美術館にて9/22まで開催予定。
ukiyoe2020.exhn.jp
※Webサイトで最新情報をご確認の上、お出かけください。
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