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2024.09.27
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時代を超えたおもてなし 日本の宿、その歴史をひもとく
第2回 無償の民泊「芸人さんなら、なお歓迎!」

「おもてなし」と「宿」の歴史を辿るシリーズ2回目は、平安時代から見られるようになった一般民家の親切心に頼る一夜の宿、いわゆる「民泊」。
中には宿主から熱烈に泊めたがられる人たちも……。
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  • Kaoru Masutani
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踊り念仏ありがたや ぜひぜひ我が家へ!

  • カンカンカン、トントンコトン、ナームーアーミーダーブーツー、ナームーアーミーダーブー……。
  • 鉢や鉦(かね)を打ち鳴らして、お坊さんたちが輪になってまわり、念仏を唱えながら踊っています。周囲には大きな人だかり。
  • 「なんだ、なんだ。一体全体、なにが始まったのだ?」
  • さらに集まってきた人たちで、沿道がすっかり埋め尽くされてしまいました。
  • 時は鎌倉時代中期。場所は片瀬の浜(現在の神奈川県藤沢市南東部)にある地蔵堂。輪の真ん中でお経を唱えているのは、時宗*1の祖、一遍*2という偉いお坊さんです。
  • 眼の前で繰り広げられているのは、「踊り念仏*3」。

  • これはもともと、口から6体の阿弥陀仏を出現させた伝説で知られる空也*4がオリジナルとされていますが、一遍により改良され、全国各地で催されたことで大ブレイクしました。
  • 「さあさあ、みなさん、こちらへ」
  • 踊り念仏が終わってしばらくすると一遍ら一行は、地元の少し裕福な者の家に招かれてゆきました。
  • そう、その家は、一切金を持たず旅をつづける彼らの今宵の宿。踊り念仏のお礼に、もてなしを受けるのです。
  • 宿泊代は取らないので現代と意味合いは違いますが、言うなれば「民泊」です。
  • 人気者の一遍は、どこへ行ってもほとんど宿や食べ物には困らなかったようです。

*1 時宗【 じしゅう 】

  • 阿弥陀仏への信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できると説いた仏教の宗派。開祖の一遍に新たな宗派を立宗しようという意図はなかったため「時衆」と呼ばれていたが、江戸時代になって「時宗」と記されるようになった。その名の起源は、念仏を中国から伝えた善導大師が時間ごとに交代して念仏する弟子たちを「時衆」と呼んだことから。

*2 一遍【 いっぺん 】(1239〜1289)

  • 鎌倉時代中期の僧。時宗の開祖。全国各地で踊りながら南無阿弥陀仏(念仏)と唱える「踊り念仏」を行った。尊称として「上人」のほか、徹底的に自身の所有物を捨てたことから「捨聖(すてひじり)」とも呼ばれた。

*3 踊り念仏【 おどりねんぶつ 】

  • 平安時代の僧・空也によって始められた「空也念仏」がルーツ。瓢箪や鉢を叩き、鉦を鳴らして念仏を唱えて踊ったのがはじめとされる。一遍とその一行は善光寺への遊行の際、長野県佐久地方で最初の踊り念仏を行った。神奈川県の片瀬の浜にある地蔵堂での踊り念仏では人々が沿道を埋め尽くすほどの盛況となり、一遍上人の名を一躍有名にした。

*4 空也【 くうや 】(903〜972)

  • 平安時代中期の僧。阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)とも称された。「南無阿弥陀仏」をひたすら唱えつづける称名念仏を日本において初めて実践したとされ、鎌倉時代の一遍に多大な影響を与えた。

宿主にとってもプライスレスな体験

  • 歌と踊りの要素が盛り込まれた一遍の「踊り念仏」はエンタメ性も高いものでした。そのため彼が率いた時宗には、僧ばかりではなく、芸能に通じる者も集まり、数多くの芸人を輩出しました。
  • 有名なところでは、猿楽師の世阿弥*5も、その流れを汲むひとり。

*5 世阿弥【 ぜあみ 】

  • (1363〜1443)室町時代初期の猿楽師。父の観阿弥とともに猿楽を大成し、彼らの能は観世流として現代に受け継がれている。世阿弥の作とされるものには、『高砂』『井筒』『実盛』など50曲近く。現在も能舞台で上演されている。

  • 古典芸能にあまり詳しくない人でも、その名前くらいはご存知でしょう。室町時代に猿楽、いまでいう能楽を大成した人で、演出を担当しながら主演も務めた稀代の大スターでした。
  • 彼らもまた、よく旅をしました。旅には不安もつきものですが、気楽にあちこち出かけてゆきます。そんなふうにできたのは、各地で芸能を大切に思う人々の歓待があったからにほかなりません。
  • 「芸人は船もタダ、宿もタダ。関所も手形なしで通れたものだ」
  • 娯楽の少ない当時の人々にとっては、芸人との交流は大変貴重な機会であったからこその優遇です。
  • それが一流の芸人であったなら、なおさらだったでしょう。
  • 彼らを泊めてもてなすのは、宿主にとっても「プライスレスな体験」だったに違いありません。
  • 高名な僧や芸人のように大歓待とまでいかずとも、この時代、一般の旅人でも一夜の寝床を提供してくれる民家を探すのに、さほど苦労しなかったようです。
  • 行き暮れた旅人を民家が迎え入れる善意の民泊。
  • そこには、一遍やその先達による仏教の教えが民間に広く浸透したことが背景にありました。
  • その一方で、ビジネスとしての宿もだんだんと発達してきます。各地の往来に重要な道路沿いに、熊野や高野山へ向かう街道沿いに、さらには商人の集まる問屋町に。
  • いよいよ本格的な商業宿泊施設の時代が始まります。

参考文献/宮本常一著『日本の宿』(八坂書房)

  • 宮本常一(みやもと・つねいち)
    1907年、山口県周防大島生まれ。日本の民俗学者。日本観光文化研究所所長、武蔵野美術大学教授、日本常民文化研究所所長などを務める。1981年没。同年勲三等瑞宝章授与。

  • illustrations=Noriyuki GOTO

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