- 江戸中期から明治時代にかけて、大量の荷物を積み込み、北海道と大阪を日本海回りで往来していた船がありました。「北前船」と呼ばれる海運船です。北前船は寄港地で積み荷を売りさばき、さらにその地で新たな仕入れを行い、次の寄港地を目指しました。
- 帆船で日本海の荒波を進むのは危険なビジネス。それでも富を築くために、男たちは海へ!北海道と大阪を1往復すると千両、現在のお金に換算すると1億円近い利益を得られたといわれています。
- 北前船は、船主はもちろん、町にも大きな富をもたらしました。現在も日本海沿岸には、北前船が活躍した華やかな時代の面影を残す港町が点在しています。
雄大な立山連峰と穏やかな富山湾に挟まれるように広がる富山市。富岩運河環水公園のスターバックスは世界一美しいスタバと謳われる。 - 富山県富山市の港町・岩瀬地区もその一つ。北前船で巨万の富を得た船主たちが明治初期に建てた屋敷や蔵が数多く残り、日本が誇る文化・伝統をストーリーとして認定する取り組み「日本遺産」の『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜』の構成文化財になっています。
- 明治11(1878)年頃に建築された北前船主・森家の邸宅「北前船廻船問屋森家」は、岩瀬地区を代表する文化財。建物内部の贅沢な造りに驚かされます。森家ではこの廻船問屋の建築にあたり、京都の東本願寺を普請した親方を棟梁として呼び寄せ、建材も全国各地から集めました。屋久杉の板戸、能登産黒松の梁、小豆島産の巨大な1枚岩を用いた土間。隠し金庫や土蔵のこて絵などからも、当時の栄華が伝わってきます。
森家の母屋のオイ(広間)。商談などに使われた。吹き抜け構造で、座敷には囲炉裏が切られている。
- 「馬場家」もまた、北前船主・廻船問屋として知られる旧家。現在の建物は明治6(1873)年の大火で焼失した後に再建されたもので、全長30mに及ぶトオリニワ(屋内通路)や33畳ものオイ(広間)など、壮大なスケールが見どころです。広大な敷地には主屋のほか、前蔵、壱番蔵、弐番蔵、米蔵などが点在。廻船業が盛んであった時代に思いを馳せることができます。
- 明治中頃に北前船が衰退すると、馬場家は汽船経営に舵を切り成功を収めます。馬場家9代当主・道久の妻はるは旧制富山高等学校設立に尽力するなど、町の発展を支えました。そんな人々の思いも、素朴でいてあたたかな雰囲気をもつ富山市・岩瀬地区の礎になっています。
馬場家はこの西門・西塀や主屋の他、前蔵、壱番蔵、弐番蔵、米蔵が現存し、栄華の面影が色濃く残る。
Traveling to Japan Heritage Sites 本物に出合える日本遺産の旅
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