- 長野県青木村出身の五島慶太は、東急株式会社の事実上の創業者であり、教育者としても知られる人物であった。
多岐にわたって活躍した五島慶太が、私たちの生きる現代社会に残した功績とは……?
彼が生涯を通じて関わりを持ったふるさと信州で、五島慶太の軌跡を辿る。
五島慶太未来創造館
- 「五島慶太未来創造館」は、小さな山村から実業界に大きくはばたいた先人、五島慶太の想いをこれからの時代を生きる人々につなげる施設として、2020年4月に開館。
館内は大きく5つのゾーンに分かれており、五島慶太ゆかりの品などを展示し、彼の歩んできた人生と共に紹介されている。
正面には、東急電鉄で実際に使用された電車の車輪(80形・3000系)が展示されている。
青木村で生まれた小林慶太 - まず館内に入って見えるのが「青木村が育んだ 小林慶太」の黄色いパネルと資料の数々。
こちらのコーナーでは、五島慶太(旧姓小林)が1882年に青木村の殿戸地区に生まれ、苦学をしながら東京帝国大学を卒業するまでの苦悩や、2人の恩人との出会いがまとめられている。
教育者・文化人 五島慶太 - 次に見えてくる赤いパネルのコーナーでは、大学卒業後に官僚になり、さらに実業家へ転身した五島慶太の実績や、教育者、文化人としての顔が紹介されている。
官民界で活躍しながら、五島美術館や学校法人五島育英会を設立し、教育文化振興にも尽くした激動の時代でもあったが、震災や不況の苦しみも「なあに」と歯を食いしばって乗り越えたという五島慶太らしいエピソードも。
五島慶太が話す貴重な声の資料も、こちらのコーナーで聞くことが可能だ。 五島慶太直筆の書。茶の湯や書を楽しんだ文化人としての一面が窺える。
ふるさと・家族への想い - 緑のパネルのコーナー「ふるさと・家族への想い」を見ると、青木村を離れ実業家として大活躍しながらも、家族や親族との交流を持ち、青木村を思い続けた五島慶太のあたたかい人柄が伝わってくる。
- 最後の「五島慶太の想いを未来へ」では、五島慶太が現代の私たちに残した多くの功績がイラストと共にまとめられている。
たとえば、人々が乗り換えるだけで滞在時間の少なかった渋谷が「文化発信拠点」に変わったことにも、五島慶太が大きく関わっているのだ。
「将来にわたる人々の幸せのため」と信念と勇気を持って、街や未来を変えた五島慶太の生きざまは、来館者の心を明るく元気づけてくれるだろう。
館内には五島慶太の愛用品、映像資料、模型やジオラマなど、多彩な展示品が並ぶ。 ご来館記念切符や、五島慶太生家木材を使ったキーホルダーなどのオリジナルグッズ。
五島慶太翁記念公園
- 昭和56年、東急電鉄が70種の樹木を植え、四季折々に景色が楽しめる公園としてつくった「五島慶太翁記念公園」。
一年を通してさまざまな樹木や、花の美しい姿を見ることができるため、訪れた人々の憩いの場となっている。
公園内に建立されている頌徳碑。 五島慶太の生家跡地からは、国宝「大法寺 三重塔」のある美しい山々を一望できる。
五島慶太未来創造館
- 住所:長野県小県郡青木村大字田沢3270番地3
TEL:0268-49-0303
営業時間:9:00〜17:00(最終入館16:30)
休館日:毎週月曜日・祝日の翌日・年末年始(祝日が月曜日の場合は翌日火曜日が休館)
vill.aoki.nagano.jp/assoc/see/miraisouzoukan.html
※Webサイトで最新情報をご確認の上、お出かけください。
※駐車場は、青木村図書館・青木村文化会館の駐車場をご利用ください。
この取材内容は映像でも楽しめます!
- 是非、ご覧ください。